治療家の生き方

【茨木英光】性善説か性悪説か

先生、こんにちは。
茨木英光です。

人は生まれながらにして善なのか悪なのか、よく議論される話題だと思います。
僕はどちらでもないと思っています。
正確に言うと、「善であれ悪であれ学習によって獲得される」ということです。

生まれたばかりのときは、全てにおいて未経験なので何も知りません。
しかし生まれて間もない赤ちゃんでも、微笑みを返したり、空腹や痛みなど不快な状態になると泣くことができます。

こんなにかわいく笑ってくれるのに、絶対性善説だよ。
そのように言ってくれる親の元で育つ赤ちゃんは幸せです。

しかし、にっこり笑ったことが親の癇に障ってしまう経験をしてしまうと、笑うことはいけないことなのだと学習してしまいます。
動物と違って、人は相手を攻撃することに喜びを感じたりするものです。
これも攻撃することが快感であることを学習してしまうと2つのシナプスが結合してしまいます。

「心の正常とはなにか」
これを心理学的に言うと、大多数が考えること。
これが正常とされています。
つまり少数派は異常となってしまうのです。

例えば、「人を殺すことは正しいことですか」という問いがあるとすれば、現代の日本人ならばほとんどの人がノーと答えるでしょう。
この殺すなかれという絶対的な真理に思えることも時と場所が違うとその答えも変わってきてしまいます。

紀元前の大昔でしたら、村が強国に突然焼き討ちにあって奴隷として連れて行かれるということは珍しくないことでした。
そこでは男たちは立ち上がって村を守らなければなりません。
その人たちに先程の質問をしたら、村を守ることは当然だということになります。

私達は平和な世の中で暮らせているので殺すことは罪であると学習しているのです。
少し過激な話になってしまいましたが、善であれ、悪であれ、人は学習してシナプスが結合していきます。

これを神経学的に考えると、脱分極か過分極しかないということになります。
脱分極が起こるとシナプスの後電位発生して神経は流れていきます。
過分極が起こると抑制性のシナプス後電位が起こって神経の伝達は起こりません。
というようにゼロかイチの2つしかないデジタルの世界で人間は動いています。

ドット絵というものがあります。
点を数多く組み合わせて絵が完成するものです。
オセロの石のような白か黒かの組み合わせで絵ができて、それが風に揺らぐとまた違う絵となる。

脳の働きとはそのようなものでできています。
なので絶対的だと思っていたことも風に揺らぐと違った絵となるのです。

それが世論だったり、有名な人のファッションだったり、昔はカッコ悪いと思っていたファッションが突如流行りだしたりするというのは、それだけ判断基準にゆらぎがあると言うことなのです。
そのゆらぎが文化を作る心の豊かさだったりするので悪いことではありません。

話を元に戻しますと、赤ちゃんは成長するにつれて学習によって人格を形成していきますから、いっぱい愛してあげて、愛することを学習させていってあげてください。
愛することも、もともと備わっているものではなく、愛されて、学習して、それが心地よいと感じて、そして人を愛することができる。
という順番になるわけです。

日本人は謙遜の文化ですから自分に甘くすることは苦手な場合が多いですが、自分を甘やかしたり、自分をゆるい気持ちで見ることって、けっこう大事なことだと思います。

今日もお読みくださいましてありがとうございます。

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茨木英光


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