「話だけで人を楽にできるのか?」
そんなことが出来たら面白いと思いませんか?
私はソーラヒーリングを開発する前から
そのように考えていました。
それはお寺の住職がお茶を飲みながら
困った村人の話を聞いているような、そんなイメージです。
私たちは身体の不調に悩み、
苦しむ人を何とかして助けてあげたいと思い、
この道に臨んで入ってきました。
私も接骨院をやりながら、
苦しむ人を救いたいという
希望をもってやってまいりました。
そんな毎日を送っていて、
ふと我に帰る時間があって
「本当の楽って何だろう?」
と考えることが多々あり、そしていずれは
「お茶をすすりながら話を聞いて人を楽に出来たらいいな」
と考えるようになったのです。
そんなイメージをもって施術をしているもんですから、
自然と達人のように自分がなれたら、
将来は自分の理想の治療ができるだろうと思っていました。
そんな風に考えながらやっていたら、
いつの間にか触らない治療をやるようになり、
今ではその時に思っていた
「話しながら治療をする」という現実が起きていました。
私の治療の概念である「思考が病の原因」という事は、
その当時は思ってもいなかったことですが、今となって思えば、
感覚的にそんな未来が分かっていたのかもしれません。
概念通りに「思考」が変われば、病は減るのですから、
「話だけで人を楽にできる」というものは夢物語ではなく、
現実味を帯びてくるのです。
誰でも触らないで人の歪みを治せるようになるのだから、
誰でも「話だけで」人を楽にすることは可能なのです。
話しを聞いてあげることで人は心が軽くなり、
話しをしてあげることで人は元気になっていくものです。
何か特別な技術を得なければ
人を楽にすることが出来ないのではなく、
もともと備わっている
「思いやりのある優しい思い」を言葉に乗せて、
苦しむ相手に届けるだけで人は楽になって癒されていくのです。
「自分には何もない」と嘆かれる人もいますが、
そんな事はなく、
誰にでも備わっている能力を
自分自身が信じていなくて、
使っていないだけではないでしょうか。
私はそんな風に思っているのです。
私には何も無いと言って外にばかり探しに行っても
何も見つからない場合が良くあるのですが、
そんな場合は内側である自分の中に
すでにもっていることがあるのです。
「お話し」という誰にでもできる行為の中に、
本当の意味の「癒し」というものが
隠れているように私は感じてて、
相手を思いやるコミュニケーションは
本能的に持っている癒しのルーツなのではないかと思っています。