先生、こんにちは。
ソーラ・ヒーリングアソシエーションの橋本 典之です。
自分が治しているという傲慢な思いが、
自らの命を削る結果となるという事を
「黎明」から学びました。
「自分が治す」そんなこと当たり前だと思っていたのだが、
ペラペラとページを捲ってみると
違うらしいと言うことを知りました。
「治すことが罪深いことなのか?」
そんなこと今まで全く習わなかったし、
人の喜ぶことをしろと、小さい頃からあらゆるシーンで学んできた。
「黎明」のいう「治すな」とは
いったいどういうことなのか?
「自分が治す」という言葉の裏には、
傲慢さが潜んでいるという。
確かに、本当にあなたが治したのか?
と聞かれれば、少し迷うところだ。
なぜならこれは学校でも習ってきたことだが
「自然治癒力」があって治るという事なのだから。
では「治した」のは身体の力で、我々がしたことは、
「治るために手を貸した」くらいのことなのだ。
「所詮我々人間には治すことが出来ない・・」
それが事実なのかもしれない。
それを認めることは少し寂しい気もするが、
見方を変えたら、そっちの方が良いではないか・・
と思うのです。
なぜなら、「治す」というのは実に重い。
重いというのは、「責任がある」という事です。
その責任が、治療家に凄いプレッシャーを与え、
精神的に負担を掛けることがある。
「僕が治すんじゃないよ」という前置きがあれば
とっても楽な気持ちで治療に向かう事ができるし、
たとえ治らなくても、それなりの言い訳がつくではないか。
それは置いていて、まあ、
「治すのはあなたの身体だから」と
事前にクライアントに言っておくことは、
真実ではあるので決して間違いではない。
頭で考えることやこころで思う事は、
それなりに身体に負担を掛け、
いずれ病気になっていくという。
それはクライアントに限らず、
治療家もまったく例外ではないということだ。
治療家は病気をしないなんてことはあり得ない。
お釈迦さまでさえ最後は病気で亡くなったのだから。
治療家は真面目で、優しい方が
非常に多いように僕は感じていて、
それは自分を犠牲にしてでも
目の前の苦しむ人を救ってあげたいと、
こころからそう思えるような人達なのだと思う。
一般的には、それはとても良いことで、
素晴らしいと、誰でも出来ることではないから
立派なことだと胸を張れるようなことなんだけど、
「魂レベル」で見てみると、
全く逆の事が起きていることになる。
「治す」ことで、自分が満たされたい、
褒めてもらいたい、自分を優位に見せたい、
自分は特別な存在だと知らしめたいなど、
自分に偏った傲慢な思考が治療家のこころに浮かび上がる。
それが自然治癒力という存在とは掛け離れた、
とても次元の低い意識の塊となって、
本来の自然治癒の働きを緩めてしまうのではないだろうか。
そのように、「治してあげたい」という思いの裏には、
人間の汚い自我が隠れていることに気づく、
そのギャップは治療家は良いことをしている半面、
自分自身に罪を作る事になるのです。
そのギャップはプラマイ0どころか、
マイナスを生んで治療家のこころと身体を蝕んで行くことになる。
脅かすわけではないが、エネルギーは見えないから、
気がついたら何かが起こっているという事がある。
そのリスクを避けるためにも、
治療家の治療に対する考え方を
一度改めることが僕は大切だと思っている。
多くの方に「黎明」をお読みになることを勧める。
ソーラ・ヒーリングアソシエーション
橋本 典之