先生、こんにちは。
ソーラ・ヒーリングアソシエーションの橋本 典之です。
僕のところに通ってくるクライアントの中でも、ワクチンを打つ派と打たない派に分かれています。
どちらも自由に選べるのですが、世の中の風潮は「打つのは当たり前」のようになっていて、打たない派にとっては辛い状況になっているように感じます。
本来打つのは自由のはずなのに、職場や趣味の仲間、その他の人間関係、家族においても「打たない派」の生きづらさは続いているようです。
僕のところに通ってくる女性は、行きつけの美容院の先生に「なんで打たないの?」「常識でしょう!」「TVの情報を見ないからよ!」などと言われ、なんだか自分が本当に悪いことをしているかのような錯覚に陥り、落ち込み、人間不信になって僕のところに来院しました。
打つ派の方の考え方も分かります。
皆が打つことで集団免疫に近いものが出来上がれば、経済や日常生活も昔みたいに戻るのかもしれません。
でも、TVや新聞以外の情報を収集している人達にとっては「やっぱり怖いんじゃないか」そう思っている人もいるのです。
美容院の先生の意見も良くわかりますが、世の中には少数派の考えも存在して、そのあたりを考慮してくれたらよいのにと彼女は言っていました。
「世の中、本当にどうかしてしまったかのように変わってしまった」
いや、変わったんじゃなくて、世の中の本当の姿を今、見ているんですよ!そう女性に僕は言いました。
ワクチン一つで人の心が簡単に分断してしまい、世の中や自分とは違った考え方を差別排除する今の姿は人間の心の深いところにずっとある醜く汚い煩悩のようなものなのです。
そんな生きづらさを感じる時代をどのように生きていくのが良いのだろうか?
分断された思考には「相手を思いやる」という愛の思考がなくなってしまっています。
なので、打つ派には打つ派の考えがあり、打たない派には打たない派の考えがあるという両方を尊重することが重要だと思います。
打ったからどう?とか、打たないからどう?という事ではなく、「あなたは打つ派ね」「あなたは打たない派」とお互いに認め合う社会が本来必要なのだと思います。
自分とは違う考えを差別、排除するという人間の心の奥底にある醜い本能感情的な思考に気づき、そこに愛がないという事に気づくことが人間として生きるために重要なのだと思います。
今は本当に人の姿の分かりやすい時代になりました。
「自分は正しい」と思いこむことで理性を失った思考で人を見て、判断し、感情を作り出し他人を攻撃する。
僕は今の時代についてこう考えています。
コロナパンデミックは人の心を浮き彫りにして、地球規模で人間の選別が起きているように思うのです。
世の中の出来事を見たり、聞いたりしたときに自分はどのように思い、振舞うのか?
それが宇宙に試されているように感じてなりません。
今は目の前のコロナの恐怖に駆られてその事に気づいていない人がほとんどですが、いずれこれも終息していきます。
その時に真っ二つに分かれた世界がそこに存在して、考え方や生き方の違う人たちがそれぞれの道を歩む姿が僕にはハッキリ見えるのです。
どちらに進むかは自分で決めることができるのです。
ソーラ・ヒーリングアソシエーション
橋本 典之